研究室恒例行事・院生ゼミ兼ねた「東京まちあるき」。
今年は初心に帰り、行ったことあるとか言わずにもう一度、ということで
まずは午後イチ日銀本店前の「常盤橋」集合。江戸城の門の石垣が残っています。
江戸時代、浅草と繋がる江戸のメインストリート本町通りは
現日銀の脇でクランクしてこの常盤橋を通り、道灌堀を通って江戸城へと繋がっていたのですよ。
そんな江戸城へ向かう軸を持つ「タテマチ」だった江戸は、明治大正昭和と過ぎて、震災復興計画を経て通りに沿った「ヨコマチ」になった。住所表記もわかりづらくなった。のですよ。そんな話をしながら日銀と三越やら三井本館やら眺めたのちに日本橋川沿いに東へ。
東京の都心の地図を見ても、江戸が水の都だった片鱗を感じるのはとても難しい。一見だけでは、道路しかないので。高速道路の下が、川なので。
でも、ええと、50〜80年以上。くらい遡ると、「水辺」に面した建物の配置、橋詰の顔が少し、見える。川だった場所に、「橋」の地名がたくさん残ってる、とか。単純ですが。
さて日本橋(写真・妻木頼黄ですよ)を渡り。道路元標の近くで「今”東京まで10m”とかですよね」などとつぶやく後輩に笑いつつ、次は鎧橋。そのまま人形町方面へ。
甘味屋「初音」で休憩ののち、なぜか1階は商店となっている安産の神様水天宮を拝み。蛎殻町。震災復興小学校+小公園であった…けど建て替えられた有馬小学校と公園見学。敷地の有効利用の為とても「まとも」に配置を変えて建て替えられている。ロイヤルパークホテルの裏です。あー、今日マツモニカ氏の演奏あるんだよな。最上階ラウンジで…ぶつぶつ。
その後埋め立てられた川(浜町川と云ったらしい)沿いに北西へ。
なんか不思議なんだ。川幅分出来た新しいはずの「土地」は、公園となって緑化されているかと思うと、更に細分化されて真ん中に路地を通して、小さな町屋で埋められていたり。なんだろう、この無計画加減。いや、とても面白いのだけど。4年生、卒論のテーマにどうですか、これ。
今はケアセンターとコミュニティセンターだかに改修されているもうひとつの復興小学校+小公園:十思小学校…とまあ伝馬町牢屋跡などを見て、日比谷線。
歩き疲れたね。築地で下車。築地本願寺を見学し、勝鬨橋をわたる。遠く川向こうに建ち並ぶ高層マンションの「群」に皆しばし無口になる。あれは今後どうなってゆくのかね。振り向くと汐留に品川に、これは「壁」状の高層オフィスビル。そんなこんなで月島へ…みんなでもんじゃ焼き屋で締め。
最後端折ってますか。それは記録疲れです…。はい。
たまにやると楽しいまちあるきです。
初体験の4年生と新しいM1諸氏が楽しめたことを祈ります。
ワタシは楽しかったよ。歩かなきゃ見えない東京は、確かにあります。まだ。
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