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March 27, 2012

*引き続き花三昧

先週出掛けたオザケン「東京の街が奏でる」第二夜についていろいろ書きたかったのですが、それはゆっくり、ということで先に一つ。

昨日は、職場の横のつながり。同僚たちによる歓送会。体調不良から服薬中なので、ノンアルコールの宴が続いておりますが、それでも楽しく。
仕事がどんなに面倒でも、教授たちがどんなに無茶ぶりしても、この同僚たちがこれだけ優しい人たちであったから、やってこられたなとしみじみと思う。任期付きの身分ゆえ、この5年間で入れ替わりは多々有りましたが、いつも良いメンバーばかり、と私は思っていて、すごい偶然なのでしょうが、本当に助かりました。
直属のボスにも、まわりの同僚にも恵まれ、かなりぬくぬくしていた自覚はあります。4月から、甘えずやっていけるようにするには結構気を引き締めていかねばと思う。

そして今日も、数年前の卒業生が遊びに来てくれまして、
大きな花束をいただきました。
1年だけ担当したデザイン系研究室の一期生であり、それぞれ第一線の建築設計の仕事に就いた彼女たちらしく、素晴らしく洒落た花束。本当にありがとう。
hanataba120327.jpg

5年なんてあっという間でしたが
毎年毎年、学生を送り出す仕事というものの、大変さと責任は置いといて、楽しさとありがたさとを実感する三月末です。

花束はこちらのお店のもののよう。自分も何かのときにお願いしたいのでメモ。
小路苑

March 21, 2012

*花束にまみれる

職場の歓送会で、卒業式の謝恩会で、友人の結婚披露宴で。
花束をいただき続けた結果、
いま我が家にはちいさな花園が。

部屋は散らかってるし地震も怖いし、花粉もすこーし避けたいし、で
お風呂場に飾っております。
なんだかんだ言っていますが、華やかできれいで嬉しい。
hanahana.JPG

謝恩会では、最後ということでいろいろ泣かされたのですが
月末、更に学生らが「送る会」をしてくれるらしいので
存分に(?)送られてこようかと思います。

March 18, 2012

*中国出張ー天津

そしてバタバタと、現ボスとは最後となる出張へ。
上海、南京と天津に行ってきたのですが、天津の記録を少し。忘れないうちに。

祖母が戦前〜戦中にかけて暮らした街。
ずっとずっと見てみたいと思っていました。
念願叶って、初めて、出掛けてきました。

祖母の天津時代のアルバムを何度もめくっていて、
これらの写真のシーンを探せるといいなあと思っていたのですが、
結論から言うと、わかったのはこの場所だけでした。
sobo_tianjin.JPG
最初に出掛けた旧イギリス租界。むかしは「ビクトリア公園」という名でした。解放北路沿い。旧アスターホテル?の向かい側で、今は市委公園というよう。下手な写真で残念。時間がなかったのだけど、このあと結局一ヶ所も「わかる場所」を発見出来なかったので、じっくり撮影して、どうせなら自分も同じポーズで写してもらえばよかったなあ、などとちょっと悔いが残ってます。まあしかたない。

イギリス租界には洋風な銀行建築などがたくさん残っている、と調べ聞いて、なんとなく上海の外灘(バンド)のような街並みを想像していましたが、もうすこし小規模かつ種類の多様な建築が、これでもか、とたくさん並んでいて、正直、上海よりだいぶ面白かったです。
これは旧横浜正金銀行。THE・ジャイアントオーダー!!みたいな建築、たくさん見られました。
yokohamashokinbank.JPG
解放北路沿いは、調べていった数年前の資料写真以降で、更にオリジナルに近づけて復元工事をしているものがあったり、道路も敷き石で舗装されなおしていたり、街灯のデザインも変えていたり、歴史的な街並みを観光資源として整備している感じです。

こちらは旧フランス租界あたり。和平路沿いの天津勧業場など。
tianjin_kangyoba.jpg
ここから西へ向かうと旧日本租界となります。
このあたりは、通り沿いはかなり建て替えられてしまっており、「旧租界風」なファサードのショッピングモールになっていて、なんだかなあ…となったのですが、一本裏に入るとこんな感じ。
tianji_ura.JPG
この写真のあたりは、古い商業地図で見ると「○○洋行」などの商社が並んでいたと思われる場所。もう少し行くと取り壊しが始まっている場所もあり、こんな風景はいつまで保たれるかわかりませんが、「裏」にはまだ少し昔の風景なのかなと思われる場所がありました。

一日歩いただけで、物足りなさは残りますが、
やっと行けたー、と喜びもひとしお。
旧日本租界の南の方は行けていないので、引き続き残って調査をするという九州大学の学生さんに、祖母の写真を託してみました。
天津市は、ほかに旧イタリア租界も、観光用に盛り上げている模様。浅草仲見世的な古文化街など、観光地は他にもたくさん。思っていたより「都会」で、中心部は人もビルも多くて息が詰まる感じでもありました。規模も大きいので、移動にはタクシーがよい感じ。

充実の旅で満足でしたが、帰り、天津→上海で乗り継いで成田へ帰国予定が、天津からの便が濃霧で飛べず、結局上海に延泊して翌日帰る羽目になったのは、…日ごろの行いなのか!

March 12, 2012

*三月の山梨で雪

ボスとその奥様がイタリア人の教授をご案内する…のに便乗して
山梨へ。
石和温泉に泊まり、
何度も通った上芦川の集落や、富士吉田の浅間神社など回りました。
一日目は生憎の悪天候で、ボスと私の山梨荒天率の高さに、
向こうの役所のひとも笑っておりました…
ほんと、山梨調査の七割方は雨だった気がしております。

道路はなんとか凍らず、出掛けた上芦川は雪景色。
一昨年かな?葺き替えた茅葺きの民家の屋根など。
ashigawa_yuki.jpg
茅に積もった雪は、少量だとこんなふうに剥がれめくれるようにして落ちるのね…などと観察。ここ、最近ダイハツの車のCMで瑛太が葺いてた屋根でございます。

帰り道、私のうちの近くに滞在だというイタリア人先生をお送りすることになり、下手な英語でお話しした道中が大汗かいて大変でした…。

fuji_sengenjinja.jpg
上の写真は、雪景色の美しかった、富士吉田・北口本宮冨士浅間神社の参道。

March 3, 2012

*ひな祭りを祝う

ふと、今年、お雛さま出してみようか、と母と話したのが正月。
2月の多忙さに流されてしまいそうでしたが
なんとか有言実行。
実家は狭い&とっちらかり過ぎているので、祖母宅で出させてもらいました。
七段飾り。

…実は、最後に出した記憶は小学生低〜中学年くらいまで。
おそらく、25年以上、箱にしまわれたままでありました。
正直、どうなっているのか不安だったのです。お人形の顔は無事なのか?衣装は大丈夫なのか?お道具は???…ほとんど、大丈夫でした。ほっ。
素材も、昔と違って化繊やプラスチックだったのが幸いしたのかな。
鮮やかな朱だった気がする飾りヒモの類いは少し色褪せていましたが、
それ以外はほぼ大丈夫。
金具の接着剤がとれたり、お人形の髪の毛がカツラのごとく外れたりして焦りましたが、修復しつつ飾り、弟家族も呼んで姪にも楽しんでもらいました。

お雛さまの扇子がきちんと開いたり、お道具の箪笥もや鏡台も開けられます。お内裏さまや右大臣、左大臣の刀はきちんと鞘から抜けるし、矢羽根は本物。小さい頃、とても誇らしかった七段飾りのひな人形でした。
弟に言わせると、最近のものは小さな子の誤飲なども考えてか、細かいパーツはあまり分解出来ず、固定されているものが多いそうです。だから、これは楽しいね、と。
ohinasama.JPG

ずっと眠らせたままで、申し訳なかったと思いつつ、来年以降、またどうするかはわからないけれど…。