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March 23, 2011

*祈り

元気になったり落ち込んだり余震に怯えたり。
仕事では、通常運転の部分とそうでない部分が並行しているのでたまに戸惑う。

土曜は出勤。日曜月曜はまた友人夫婦に遊んでもらい。
…こんなにふたりの間に割り込んでいていいのだろうか。
甘えております。ありがとう。

我が家は揺れるたびにスチールサッシがゴトゴト鳴るのですが、ここ数日は風も強くて、揺れてるのだか強風だかわからず。電気のヒモにあたる部分にストラップをぶらさげて、震度の目安にしています。

本当に、たとえば安全(?)に関して言えば、1から100まで意見があり。取捨選択はこちらでするしかないという覚悟を持つ。選ぶのは自分。どちらに転んでも、後で「騙された!」なんて言えないし、言わない。そういう覚悟。
…逆も然り、か。「それ見たことか」も言わない。

大久保好子さん。優しい歌をつくって歌う、シンガーソングライター。
よしだ屋さん繋がりの縁で、自主制作レーベルのウェブページ制作をお手伝いさせていただいたりしました。
そんな大久保さんが「祈り」という曲をYouTubeにアップロードしたというので紹介。

March 20, 2011

*そして卒業式の思い出も

そして土曜は勤務先の大学の卒業式でした。
全学が集まっての武道館での式典は中止となり、
学科ごとに集まってこじんまりと、
先生方のお話しだけを聞いて、終わりました。

みんなが無事卒業出来て、よかった。
今年、教員歴4年目の私にとって最初の学生だったこの学年。
全部終えて、無駄にあった思い入れみたいなものが
すこし昇華されたような。

謝恩会も研究室で開いていただき。
4年生代表の挨拶を任された彼が、
本当にこの研究室でよかったと、涙ぐんでのスピーチで。
私はあくまでアシスタントだけれど、本当にすごいのはボスなんだけど、でも、
毎年書いていますが、毎年、この瞬間だけはやはりいい職業だなと思う。
教育者であることと研究者であることは違うと思っているし、
いま自分は後者に力を入れなければならないことを自覚しつつも
これからも、みんなの感謝に見合う自分であれるように。

*ご近所さんたちとの二晩

水曜は東東京に住む友人夫婦に声をかけてもらい
人形町の「やましょう」へ。
もつ鍋が有名なお店だそう。
もつ鍋と、やましょう鍋という白菜と豚肉の鍋をお願いしましたが
いやあ、美味しかった。ビールが進むこと進むこと。
震災以来初めての外食となりました。
気心知れた友人とおしゃべりしながらのごはんで、
心底ほっと出来ました。ありがとう。
寂しいならもっと早く連絡しなさいよ、と言ってくれる友人のありがたさ。

昨日は助かったなあ、と思っていた木曜は、
うちの近所に事務所を構えるmosakiのおふたりに
焼き肉に誘ってもらいました。
10年ほど前からの知りあいですが、ゆっくり一緒にごはんを、なんて
今まで機会がなかったので、これもまたとても嬉しく。
もうひとかた、ご近所の建材関係お仕事の方とのごはんに混ぜてもらい、
4人で、がっつりと肉、肉、肉…。
ここでもビールをかぷかぷ空けていたわ。
ひとりで家でのごはんだと、
あけても350mlひと缶なのに、どーしてかしらねこの勢いは。
危うく地震太りしてしまいそうですが
なんとか戒めて。

周りのひとに助けられながら、元気になってきました。

March 16, 2011

*夜はいかんな

昨夜はおそらくここを読んだ友達が
メールをくれました。
ありがとう。
やっぱり夜はいかんな。気持ちが昂ぶってて。
こつこつ出来ることをします。
そして人まかせにしない判断を自分の頭で考えられるように。

だらだら字ばかりになっていたので
一昨日描いたtwitterのアイコン掲載。
ベースのネコ絵に、季節ごとにいろいろ書き加えて使ってたんだけど
節電ぽくしよう?と考えた結果こうなった。
yamineko.jpg
ちなみにモデルとしてオタマトーン(白)に下から懐中電灯をあててみましたが、下半分しか明るくならず、怖い感じだったので参考にしませんでした(意味なし)。

March 15, 2011

*単なる愚痴

愚痴ります。推敲なし。

一人暮らしは通算6年目くらいですが
今回一番しんどいな。
家帰るとひとり。
揺れても、怖くても、しんどくても、話す相手がいません。
電話混ませるのは気が引ける。
メールもtwitterもあるので気が紛れるけれど
煽るようなこと書く人もいるしな。
何回かつぶやこうと思っては消したり。
友達とのやりとりか、ひとりごとだけ。すこし。
必要な情報は多くの人に流れるといいけれど。
頭に浮かぶ具体的な誰かに向けて、
有用だと思える情報(確認したURL)があるものだけ少しRT。
あとは、気になるものは「お気に入り」にひたすら貯めて
あとで読む。ことにした。

原発と放射能については俄に詳しくなってしまった。
わからずにいることが一番不安なんだな。
実際の状況の発表については、頭から信じ込みもしないけれど、
騙してる、隠してる、後手である、と騒ぎ立てる理由もいまひとつわからない。
自分と同じ意見を探して安心したいのか。な。
責任追及すれば自分が助かるという謎の宗教でも信じてるのだろうか。
備え有れば憂い無しという姿勢なら、理解する。
こんなこと書き連ねている時点でもちろん
私も落ち着いてるわけではなく、
もう少し賢いと思っていた人たちの
狼狽えぶりや馬鹿らしい主張を見て、聞いて、
くたびれているのも事実。
これももちろん、なんというか抜け出せない性善説の私も
馬鹿だと思われてるかもしれないなという自戒も込めて。
みんな冷静じゃないんだな。
自分も、実家の家族も無事で、屋根のある場所で過ごせているのに
この駄目っぷり。

明日は職場のコピー機の入れ替えがあります。
予定通りらしいけれど、大丈夫なのかしら。
そして昨日頼んだ「アスクル」は、今日来なかったな、そういえば。
(こんなときにコピー用紙切らしてしまったのは、ちょっと気が引けてる)

March 12, 2011

*地震について(いつかの覚え書きとしての長文)

金曜日の午後2時45分ごろは、職場である都内の大学の研究室にいた。
5階にある研究室は本棚林立。本棚自体は床に固定されているものの、天井までみっしり本が詰まっている。その棚が揺れる。慌てて席を立って、様子を見るけれど、揺れが収まる気配がない。部屋の一番奥の席から入り口まで移動してドアをあけて…と、脇に目をやると、一人暮らしサイズの冷蔵庫の上に電子レンジ、その上に…酒瓶。研究室宴会の残りがみっしり。慌てて4年生とともに床におろす。その間も揺れが大きくなる。
本棚の上に置いてあった模型が落ちてきたのを受け止める学生。いや、足元のみ固定されている本棚がぐらりとたわんでる。とにかく本棚から離れるよう指示。ボスも奥の部屋から出てくる。廊下に、各研究室から学生、先生が出て来始めたところで、大揺れ。ぐらぐらぐら、と。廊下で壁に背を付け、思わず座り込んでしまう。怖い。ほかの研究室からいくつか悲鳴。廊下は安全か?蛍光灯が割れたら危ないかも。研究室の机の下の方がいいだろうか。いやでも。考えたところで恐怖で動けない。

おそらく、1分もたたなかったと思うのだけれど、ようやく揺れが収まる。人の動きが止まり、揺れないことを確認して力が抜けたところで、校舎から出るよう非常放送が入った。
貴重品とコートを!と一旦部屋に戻ると、大判図面ケースの引き出しが全部飛び出してる。論文を詰めていた棚から雪崩落ちた本で通路が一ヶ所ふさがった。そのとき確認したのはそれくらいで、とにかくコートを着て携帯と財布持って外へ。

校舎の前庭のような場所で、3学科の教員、学生と事務員。百数十人はいただろうか。
そこは建築学科。地震や構造について専門の教授や助教をつかまえてはいろいろ聞く。揺れ方からして直下型ではない…などと説明を受けているうちに、震源地は宮城だと誰かが携帯で情報を得る。東京が震度5弱というのも。震源地が宮城で、東京でこの揺れだということは、宮城の被害は壊滅的ではないかと専門家が言う。ショックを受ける私たちに、もちろん地震のタイプによって一概には言えないし、宮城は大きな地震にずっと備えてきた都市なので、きっと大丈夫だ、とも教えてもらう。心から信じたいと思った。
それぞれの携帯のワンセグやiPhoneでのネット検索で、徐々に情報を得る。マグニチュードは、このとき最初7.2と聞いた気がするのだけれど、その後何度か修正され、最終的に8.8という聞いたこともない数字になった。(追記:14日の発表で、M9.0に)

結局外には小一時間いただろうか。
30分後くらいの大きな余震で、校舎が大きく揺れ、最上階の変形がすごくて窓が割れるかと思った。エキスパンションジョイントが本当に大きく動いて、頭でしかわかっていなかったその働きを目の当たりにした。
揺れが収まった頃、管財と事務の方々が校舎の点検をしてくれて、部屋に戻った。本棚最上段にあった重めの本がいくつか落下。でも本棚は倒れなかったし、それほどの被害はなかった。他の研究室も覗いた結果、おそらくは揺れの方向が良かったのだと思う。たくさん本が落ちたのは東面していた本棚。開いた図面ケースも東向き。研究室の本棚の殆どは南北方向に顔を向けていて、揺れは東西方向だったのではないかと。東西向きの本棚が多かったM研やY研は結構な被害だったらしいので。
これは後で自宅でも感じた。壁一面、同じ方向に壁につけた本棚、食器棚はほぼ無傷だったのに対して、それと直角に置いていた台所のキャスター付きワゴンは、180度回転していた。同じ方向のお風呂グッズの棚も落下して、シャンプーやら石鹸やら散乱。逆だったら、本当に大変だっただろうと思う。

実体験としての大きな揺れはここまでで、怖かったけれど、もちろん余震も怖いけれど、でももう大丈夫だ、終わった、となんとなく思ってしまっていた。
首都圏のJRはその日中には復旧しない宣言が出た。大学には、外出先で地震に遭って困った学生が集まってきて、手分けしてコンビニで飲み物とカップラーメンを仕入れて来たりした。おにぎりやパンは即売りきれていた模様。電話は殆ど通じなくて、情報はTwitterがあって本当に助かった。それでもちょこちょこと大学宛てに学生の安否確認があったり。電車が始めに復旧したのは銀座線だったかと。その後半蔵門線が部分的に復旧して、都営地下鉄がそれに続いた。本当に、こういうとき働いているひとには頭が下がる。駅でも不通のところと復旧状態を駅員さんが丁寧に説明。特に混乱は見なかった。(大変だった駅もあったみたい)

終わったというのは間違っていたな、と気付いたのは、いろいろあって一度自宅に戻ってから再度職場に来て、泊まることにした真夜中。やるべき仕事もあったし、学生たちもいたし、事情もあって普通に起きていた。テレビはないので、Twitterをチェックしながら、UstreamでずっとNHKのニュースを流していた。
次々に届く、被害の情報。
倒壊する家屋、津波、そして火事。
合間合間に、余震が続く。席についてちょっと作業を始めるごとにぐらりと来て、慌てて起立してしまう。死者、けが人のニュースが続く。研究室には、ボスも含め8人くらいいて、作業もあって。学生たちはおしゃべりしたり、トランプしたりしている。他の学科も研究室も大勢残っていて、大学全体はとても明るい光に満ちている。合間に、火事の映像。余震。

なんだか、ものすごく怖くて涙が出た。
大勢いるのに、怖くて。
みんなの前でめそめそはしなかったけれど、自分の席でパソコンに向かいながら何度も鼻をかんでいたのは花粉症だけではなかった。隣の席で泣き言を言う年上の院生を慰めておきながら、いい年した自分が泣きそうだった。
余震も怖かったし、いま、あの瞬間、この瞬間にも多勢亡くなっていると思うと、頭の中が煮えるみたいだった。混乱していた。
やむを得ずだったけれど、職場に泊まってよかった。一人暮らしの家で一人きりで夜を越すのは耐えられなかっただろうと思う。いま思うと何であそこまでカーッとなったのか不思議だけれど、でも被災でまいってしまう、というのが一瞬実感出来てしまったのだった。自分なんて、よっぽど図太いと自覚してたのに。誰かいて欲しかった。とても。

今日になって、帰宅してシャワーを浴びて、自分で作ったごはんを食べて。まだ怖いけれど、だいぶ落ち着いた。節電を心がけて、徹夜明けの私はそろそろ寝ようと思う。
いまも余震がまたあった。この瞬間も、東北で多くの方が被災されている。
どうか、一人でも多くの方が助かりますように。それだけを祈っている。

March 8, 2011

*手帳カバーをオーダー

何度かblogでも書いているけれど、
会社員時代に使ってすっかり慣れてしまい、手帳は毎年「能率手帳」を買っている。
今年で10年目。1711・WIC1という1週間片面タイプ。
オリジナルのビニールカバーは武骨極まりないので、せめて、と革のカバーをつけていた。
たまたまサイズの近かったSAZABYの手帳のもので、これももう10年選手。
かなりボロボロになっていたのと、実際には少しサイズが合っていなかったのもあって
今年の手帳を使い始めたときにカバーの交換を考え始め。
いろいろ検索をかけて見つけたこちらに、サイズ指定でオーダーしてみた。
HZK Leather

注文、支払からちょうど一ヶ月くらいかかって、
昨日届いた。黒革。ひたすらにシンプルに。
cover.jpg
かわいげはないけれど、柔らかい革でじっくり使い込んで行けそう。
思ってた通りにでき上がってきて嬉しいものです。

ちなみに、iPhoneにしたときに、スマホとパソコンでタスク管理♪と一瞬は考えたのだけれど、結局「同期をとる」ことすら面倒に感じがちな自分、かつ、手帳の隙間に何かしら落書きしたい自分にはまったくもって向かないことに気付いて、スケジュール管理は手帳一辺倒です。これ落としたら泣く。

March 6, 2011

*弥生三月宴会

土曜は友人と総勢8人で錦糸町の「みこ」というお店で宴会してきました。
特に何かお題目があったわけではなく、
料理が美味しくて盛りが多いこのお店、
飲み友達とふたりではいつもメニュー数が頼めず、
不完全燃焼に陥りがちだったのを、
座敷で大勢で好きなだけ頼みたい!という野望を果たすがための宴会。
当初の希望を全うし、満足いたしました。
ご協力?いただいた皆さま、お店のマスターと奥様も、どうもありがとうございました。
美味しいお酒と美味しいごはんと友人たちとのおしゃべりとに勝る息抜きはないなとも思った夜更け。

食べ物写真入りで詳細なレポートをしていただいた
よっしーなさんのblogはこちら