金曜日の午後2時45分ごろは、職場である都内の大学の研究室にいた。
5階にある研究室は本棚林立。本棚自体は床に固定されているものの、天井までみっしり本が詰まっている。その棚が揺れる。慌てて席を立って、様子を見るけれど、揺れが収まる気配がない。部屋の一番奥の席から入り口まで移動してドアをあけて…と、脇に目をやると、一人暮らしサイズの冷蔵庫の上に電子レンジ、その上に…酒瓶。研究室宴会の残りがみっしり。慌てて4年生とともに床におろす。その間も揺れが大きくなる。
本棚の上に置いてあった模型が落ちてきたのを受け止める学生。いや、足元のみ固定されている本棚がぐらりとたわんでる。とにかく本棚から離れるよう指示。ボスも奥の部屋から出てくる。廊下に、各研究室から学生、先生が出て来始めたところで、大揺れ。ぐらぐらぐら、と。廊下で壁に背を付け、思わず座り込んでしまう。怖い。ほかの研究室からいくつか悲鳴。廊下は安全か?蛍光灯が割れたら危ないかも。研究室の机の下の方がいいだろうか。いやでも。考えたところで恐怖で動けない。
おそらく、1分もたたなかったと思うのだけれど、ようやく揺れが収まる。人の動きが止まり、揺れないことを確認して力が抜けたところで、校舎から出るよう非常放送が入った。
貴重品とコートを!と一旦部屋に戻ると、大判図面ケースの引き出しが全部飛び出してる。論文を詰めていた棚から雪崩落ちた本で通路が一ヶ所ふさがった。そのとき確認したのはそれくらいで、とにかくコートを着て携帯と財布持って外へ。
校舎の前庭のような場所で、3学科の教員、学生と事務員。百数十人はいただろうか。
そこは建築学科。地震や構造について専門の教授や助教をつかまえてはいろいろ聞く。揺れ方からして直下型ではない…などと説明を受けているうちに、震源地は宮城だと誰かが携帯で情報を得る。東京が震度5弱というのも。震源地が宮城で、東京でこの揺れだということは、宮城の被害は壊滅的ではないかと専門家が言う。ショックを受ける私たちに、もちろん地震のタイプによって一概には言えないし、宮城は大きな地震にずっと備えてきた都市なので、きっと大丈夫だ、とも教えてもらう。心から信じたいと思った。
それぞれの携帯のワンセグやiPhoneでのネット検索で、徐々に情報を得る。マグニチュードは、このとき最初7.2と聞いた気がするのだけれど、その後何度か修正され、最終的に8.8という聞いたこともない数字になった。(追記:14日の発表で、M9.0に)
結局外には小一時間いただろうか。
30分後くらいの大きな余震で、校舎が大きく揺れ、最上階の変形がすごくて窓が割れるかと思った。エキスパンションジョイントが本当に大きく動いて、頭でしかわかっていなかったその働きを目の当たりにした。
揺れが収まった頃、管財と事務の方々が校舎の点検をしてくれて、部屋に戻った。本棚最上段にあった重めの本がいくつか落下。でも本棚は倒れなかったし、それほどの被害はなかった。他の研究室も覗いた結果、おそらくは揺れの方向が良かったのだと思う。たくさん本が落ちたのは東面していた本棚。開いた図面ケースも東向き。研究室の本棚の殆どは南北方向に顔を向けていて、揺れは東西方向だったのではないかと。東西向きの本棚が多かったM研やY研は結構な被害だったらしいので。
これは後で自宅でも感じた。壁一面、同じ方向に壁につけた本棚、食器棚はほぼ無傷だったのに対して、それと直角に置いていた台所のキャスター付きワゴンは、180度回転していた。同じ方向のお風呂グッズの棚も落下して、シャンプーやら石鹸やら散乱。逆だったら、本当に大変だっただろうと思う。
実体験としての大きな揺れはここまでで、怖かったけれど、もちろん余震も怖いけれど、でももう大丈夫だ、終わった、となんとなく思ってしまっていた。
首都圏のJRはその日中には復旧しない宣言が出た。大学には、外出先で地震に遭って困った学生が集まってきて、手分けしてコンビニで飲み物とカップラーメンを仕入れて来たりした。おにぎりやパンは即売りきれていた模様。電話は殆ど通じなくて、情報はTwitterがあって本当に助かった。それでもちょこちょこと大学宛てに学生の安否確認があったり。電車が始めに復旧したのは銀座線だったかと。その後半蔵門線が部分的に復旧して、都営地下鉄がそれに続いた。本当に、こういうとき働いているひとには頭が下がる。駅でも不通のところと復旧状態を駅員さんが丁寧に説明。特に混乱は見なかった。(大変だった駅もあったみたい)
終わったというのは間違っていたな、と気付いたのは、いろいろあって一度自宅に戻ってから再度職場に来て、泊まることにした真夜中。やるべき仕事もあったし、学生たちもいたし、事情もあって普通に起きていた。テレビはないので、Twitterをチェックしながら、UstreamでずっとNHKのニュースを流していた。
次々に届く、被害の情報。
倒壊する家屋、津波、そして火事。
合間合間に、余震が続く。席についてちょっと作業を始めるごとにぐらりと来て、慌てて起立してしまう。死者、けが人のニュースが続く。研究室には、ボスも含め8人くらいいて、作業もあって。学生たちはおしゃべりしたり、トランプしたりしている。他の学科も研究室も大勢残っていて、大学全体はとても明るい光に満ちている。合間に、火事の映像。余震。
なんだか、ものすごく怖くて涙が出た。
大勢いるのに、怖くて。
みんなの前でめそめそはしなかったけれど、自分の席でパソコンに向かいながら何度も鼻をかんでいたのは花粉症だけではなかった。隣の席で泣き言を言う年上の院生を慰めておきながら、いい年した自分が泣きそうだった。
余震も怖かったし、いま、あの瞬間、この瞬間にも多勢亡くなっていると思うと、頭の中が煮えるみたいだった。混乱していた。
やむを得ずだったけれど、職場に泊まってよかった。一人暮らしの家で一人きりで夜を越すのは耐えられなかっただろうと思う。いま思うと何であそこまでカーッとなったのか不思議だけれど、でも被災でまいってしまう、というのが一瞬実感出来てしまったのだった。自分なんて、よっぽど図太いと自覚してたのに。誰かいて欲しかった。とても。
今日になって、帰宅してシャワーを浴びて、自分で作ったごはんを食べて。まだ怖いけれど、だいぶ落ち着いた。節電を心がけて、徹夜明けの私はそろそろ寝ようと思う。
いまも余震がまたあった。この瞬間も、東北で多くの方が被災されている。
どうか、一人でも多くの方が助かりますように。それだけを祈っている。