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June 27, 2011

*天津にいた頃の祖母

14年、闘病を続けていた叔母が亡くなった。
ここ8年はずっと病院にいたけれど、
亡くなったときは、ちょうど叔父がおり、
ちょうど、長年のつきあいだった看護師さんが夜勤というタイミングだったという。
悲しいけれど、よかったなと思う。

今日は久しぶりに会ったイトコたちといろいろ話した。
祖母が倒れて入院してからはお正月に集まることもなくなっていて。
一昨年の従妹の結婚式以来かな。
父方では私が一番上なので、
みんなまだ若い…と思ってたけれど、
だいたい30overになってきているのね。
そして、私と、一番年下の従弟が、昔と比べて太ってることを遠回しに…
いや私は主に、自分の両親に申告?された。。
貫録出てきたでしょう?って、娘をどう説明しとるのか。
否定出来ませんが。

タイミングは本当にたまたまだったけれど、
父方の祖母の昔のアルバムを私が預かっていたのを、
全部スキャンしてデータ化したのが先週だった。
叔父叔母やイトコたちにCDに焼いて配ってみた。
そこから2枚。1938年、天津で働いていた祖母。ちょっと気取ってポーズしている。
年をとって、父や叔母たちが何だかみんな似てきていて、そして祖母の面影もみんなにあるなあと思った一日だった。
sobo.jpg

June 16, 2011

*鈴蘭灯のことなど

4年生向けのゼミで、何か自分の専門について話す時間があり。
今やっている研究テーマを紹介する一方で、
最近、震災を経て思い出してる同潤会アパートについて取り上げてみた。
うちの大学で同潤会アパートについて熱心に教えてくださっていた先生は
他へ移ってしまわれたので、最近の学生はあまり詳しく知らないかなあと思って。
話してみたら、やっぱり、あまり詳しくはなかったようで、
写真盛りだくさんにしたおかげで、少しその理念と魅力が伝わったならよかったなと。

「ホームページ」をつくりはじめた頃には
「architecture」のページもあって、
大学4年生〜修士の頃のそれはそれは拙い文章を掲載していたりした。
研究者としてやっていくようになり、内容が稚拙だったのに加えて、丁寧に基礎データなどを載せていたら、そのままきれいにコピーされたレポートをこの目で発見したのもあって、なんとなく止めてしまったのでしたよ。
でも、ネットで得られる情報の面白みってまだまだあるよなあ、と。
本日、以前から少し興味のある戦前期の街路灯「鈴蘭灯」について検索をかけていて思った次第。地方の商店街の戦前の写真、たくさん出てきて楽しいです。

「鈴蘭灯」はたとえばこんな。これは昭和初期の台中(台湾)で。
taichung_suzuran.jpg
興味を持って調べてる方の新聞記事(日経新聞2009.05.26)などから、こちらも原典にあたったりして。一応、そのはじまりは京都の寺町通り、当時の「京都電燈株式會社」が、武田五一にデザインしてもらった鈴蘭灯が嚆矢だとされていることを知る。
もとは京都電灯が「燈火の隧道の如く観られるアーチ式照明方法」を思いついて、でも祇園の山鉾巡行に支障ないように…と武田五一に委嘱した結果「アーチの中央部を切離した」鈴蘭型の街灯が実現したそうな。それが大正13年。
そこから昭和初期にかけて、京都だけでなく日本各地、そして日本統治下の台湾や韓国の都市でも、大流行してる。デザインも、似たものからかなり凝ったもの、特殊なのなどいろいろ。

こういうこと調べてるときって楽しいんだよなー。
ちなみに鈴蘭灯、京都電燈社史で自ら「道路装飾美の点より見れば多少の異見もあらうかも知れぬが」などと述べている。でも「わが国の道路及び国民の嗜好に適していたものか」神戸元町通、横浜や東京にも現れ、広島市は全主要道路の殆どすべてが鈴蘭灯だったそう。ふむふむ。です。

June 11, 2011

*長崎のひとを祝う

長崎へ赴任し、向こうで出会ったひとと結婚した友人を祝ってきました。
岡山からの友達も来て、こちらは私含め3人で、総勢5人。
店決まってない、というので慌てて探したけれど、私が土地勘のある神楽坂近辺でよさげなところは金曜夜だけあって全滅(満席)で、「人出は戻ってるのだねえ」などと話しつつ、結局友達が探してくれた代々木のお店へ。ここも混んでましたが、野菜中心のお料理が美味しくて、接客も丁寧でよかったです。
memo http://www.green-spot.jp/

結婚生活やみんなの状況をいろいろ聞いて。気付いたらみんな既婚かそれに近い状態になってるなあ、と今更実感させられました(「それに近い状態」っていろいろだけど)。昔は周りのことなんて気にならなかったのに、と思ってたけれど、それは気にしてなかったんじゃなくて、周りも「同じ」だからこそ気にしないでいられたのだろう、単純に。それを自覚。まあでも気になる時期と気にならない時期が交互に来るな。自分の中でも。そして、比較したところで何にもならない。

後は。皆さんケンチク畑の方たちなので
こんな仕事をしてる、あんな出会いがあった、etc.楽しい話は尽きず。
よかったです。そして、仕事の面では本当に妥協せず、出来ることを粛々と、でもすごい量やっているみんなに、頭が下がる。これまた、ひとと比較して漸く自分の「緩さ」がわかるようじゃ駄目駄目ですが。

姉さん、おめでとう。本当に幸せになってほしいな。

絵は、先月末調査させていただいた千葉の素敵な住宅。
緑に囲まれた突き当たりに大正末期に建てられた洋館。お住まいのおばあさまも物語から抜け出してきたようなご婦人でした。お礼状用に描きました。
tateyamanoie.JPG

June 5, 2011

*梅雨となる

追われてるうちに六月。
あと半年で12の倍数年齢な年女である。早い。
web上で日記を書き始めた10年ちょい前から文体もあまり変わっていない気がする。自分の中のどこに「大人になった」部分を見つけられるのか。
などと書いていて。
先週、久しぶりに中学からの仲良し6人で集まったことを思い出す。
ただひたすらに楽なメンバーである。助けられている。
話題は、たるむおなかやハリのなくなった髪や紫外線にやられる肌だったりしたあたりが、大人になったというか。年相応なのかもしれない。若ぶるつもりは毛頭ないけれど、歳をとってる自覚が足りないと、無理をしてしまったり、手入れを怠ったりして、結果、痛々しいことになるのだろうなあと。なんとなくピキっと来そうな状態でほっといてしまっている腰痛に至る思考の道…。
身体だけではなく。
自覚のないうちに、はた目から見ると痛々しいことになってるのかなあという、心配も。私の周りでは同世代で若いうちに母親となったひとが少ないのだけれど、たとえば、23くらいで第一子を生むというのは十分ありえたことで、そうすると、そろそろその子供は中学生になる。中学生の子供がいても、おかしくはない年齢である自分。もしくは、数年前に離婚をし、今度二度目の結婚をするという友人を見ていて、全くもって喜ばしいことなんだけど、私が一度も出来てないことを、一度やって、終わらせて、二度目なんだなあ、なんてことを考えたりもする。

らしくなく、暗い。
すぐ開き直る予定。

写真は先月快晴の日に久しぶりに出掛けた神田神社。
kandamyojin.JPG
震災の影響で大部分が中止となってしまった今年の神田祭だけれど、例年のパンフレットは作成されていて、売り上げは震災への義援金にするというのを、買いに行ってきた。
西側の駐車場の上が、屋上庭園として整備されたり、公園に登録文化財の住宅が移築されていたり、ちょっと様変わりしておりました。

June 1, 2011

*今回の台湾についてつれづれ3

6月になってしまった…だらだら書くと終わらないので
嘉義と斗六を紹介して終わり。
主に電車の話w.

嘉義は高鐵でいうと台中と台南の間に位置する駅。阿里山鉄道が有名です。今回行く直前に事故があって、このときは動いていいたのかどうかは不明。
高鐵の嘉義駅から市街のある台鐵の嘉義付近までは
バスで20分ほどかかるようだったので、
このときは宿泊していた高雄からガタゴト台鐵で嘉義まで行きました。
特急にあたる自強号で1時間12分、245元。
嘉義駅も1933年竣工という近代建築なのですが、前面にアーケード状の増築がされていて、さっぱりめの外観は全貌が拝めなくなっていました…残念。
kagi_sta.JPG
駅前のタクシーの運転手さんらには「阿里山か?阿里山じゃないのか?阿里山行かないの?」としつこく聞かれました。

嘉義駅の行李房で荷物を預け(1つあたり17元はどこも一緒かも)、市街を歩く。
駅からひたすら東へ向かう中山路のつきあたりに公園があり、もと嘉義神社の社務所と斎館であった建物が嘉義市史蹟資料館として残っています。
kagi_shiryokan.JPG

あとは地味に予備調査という感じで面白い写真は少ないかな。
でも思っていた以上に戦前の建物が多く残り、都市構造もいくつかのレイヤーが感じられて、ここはまた夏に調べに来ることになりそうです。
嘉義市の城隍廟では、東日本震災に対して「この廟から200万元寄付したよ」と掲示されていて、みんなで深く感謝したりも。

こちらは嘉義市場の中。各店舗用の屋台ブースみたいなの。
kagi_market.JPG
これは戦前期からのものの筈でして、あちこちの市場で現役で使われているのをここ数年で見ております。ここにもあった。

嘉義から、老街(古い町並み)が残るという斗六へ移動。
これも台鐵、自強号(山)で19分、71元。(山コースと海コース?の路線がある) 
駅近くの太平路という通り沿いに、華やかな女兒牆(パラペット)の街屋が並びます。
一応整備されている模様。いろいろな時代のものが入り交じっている感じでした。
doliu.jpg
斗六駅は真新しくなっていて、残念でした←失礼。でも行李房はありましたよ。
帰りは斗六から新烏日まで莒光号で1時間ほど。104元。
新烏日駅は高鐵の台中駅と繋がっており、ここから高鐵に乗って台北に戻りました。
斗六から新烏日まで直行という電車は日に何本かしかなくて、狙い撃ちで乗ったのですが、たぶん斗六から彰化まで出て、乗り換えることにすれば、もっと本数あるんじゃないかなと思います。

こんなに台鉄ばかり乗ったのは初めてだったけれど、なんとかなって自信つきました。
時刻表はちゃんとwebで検索も出来たので、事前に調べておいて。
こちら→http://twtraffic.tra.gov.tw/twrail/
切符を買う時は大勢での移動だったので、窓口で
「1022 自強 嘉義→斗六 × 10位」などと書いた紙を見せることで問題なし。
→1022は「車次」。すべての電車に振られてる番号。10位は10人。復興/区間車以外は全車指定席なのかな…「對號座」というのが指定席みたい。
時刻表で気をつけるのは、たまに平日しかもしくは休日しか運行していない電車があるので注意するくらいかしら。
前述の時刻表検索の結果にも出てきます。「週日」は「平日」。
「星期一」は「月曜日」、「星期ニ」は「火曜日」…となります。日曜日だけ、「星期天」。